20220109
ああもうだめだぼくはもうだめだなんかもうしにたい。
みんなぼくのこときらいなんだというふあんがとっぱつてきによぎるともうだめだぼくはますますとじこもってますますみんんあからきらわれてしまう。
えりあのおさがめんだんにきた。もうぼくはねぶそくでずっとあたまをおさえながらめんだんをしていてこれじゃあたまおかしいひとみたいなじゃないかとおもってもうほんとうにいやだった。そういうじぶんがもうだめだとおもった。もうだめ。ばかおろか。こういうめんだんのそんざいじたいがみせぜんたいのしきをさげるしてかそもそもえりあのおさいそがしいはずだしなにもかもにももうしわけないきもちがいっぱいいっぱいになってでもここでないてかえったらおわるからとちゅうからすべてこころをとざしてがんばってしごとをした。ふつうにおひるごはんはおいしかったしひるねもしたしそしたらすこしげんきになったけどでもなんかもうずっと「上滑り」。
「上滑り」ということばはちゅうがくいちねんせいのみつむらとしょのこくごのきょうかhそにでてくることばだ。たしかせおまいこのしょうせつだったとおもう。このときのてきせつなきもちをいかの4たくのなかからこたえなさいというのがてすとでよくでるもんだいでぼくはなんどもとうじじゅくのせいとにおしえたのだった。その上滑り。
でもぼくはおきゃくさんにたいしてはまあまあえがおでいられるしれじだって0えんのごさでしめることができるしほんとうにすごいしべつにそこまでしにたくはないしでもときどきおやにもうしわけなくなってくる。うまれてきてごめんなさいいきていてっごめんなさい。
どうでもいいが、ぼくのちちおやとははおやはたがいのともだちふうふのいえでであった。じゃあそのともだちふうふはどうやってしりあったのか。新興宗教だ。今両親もそこに加入している。べつにかんゆうはうけていないし、まぁははおやががんやっているからしょうがないとおもう。ごじゅうをこえたらしんこうしゅうきょうくらいでしかあたらしいにんげんのつながりってできないんだろうし。しゅみでもやっていないかぎり。すごくわかる。すがりたくなるんだろう。べつにかんゆうもされないし。
でもそのともだちふうふがそのしゅうきょうきっかけでであったのであればその新興宗教ありきで私は生まれたことになる。やはりその宗教はクソだと思う。ふたりはいまげんざいもたがいにそれなりをおもいやりそれなりによいふうふであるが、いちばんうえにこんなのがうまれてきてしまったのであれば、こんなしゃかいふてきごうしゃがうまれてきてしまったのであれば、そのしんこうしゅうきょうのかみなんてここにはいない。とてもしかたのないことではあるがときどきおやとしゅうきょうがちがうんだなぁーとおもうととたんにこどくになったきがしてくる。でもにほんこくけんぽうにおいてじんけんのなかに「しんしんのじゆう」というものがありこじんのしゅうきょうのじゆうはにほんこくがほしょうしているのである。だからぼくはなにもいえない。
でももうなんかつらい。しごとにいきたくない。いけない。むり。でもいかなくてはならない。なぜならぼくにはほけんしょうがひつようだからである。いかないことでさらにやむのはめにみえているのでぼくはいかなくてはならない。しごとがいやなんてそんなのあたりまえだしていせつだしでもぼくがいくらがんばってもがんばってもがんばってもだれもみてくれないことがとてもくやしいしかなしいしつらいししにたくなる。じゃあがんばらなきゃいいじゃんなんだけどがんばってがんばってぼくもうやっとひとなみだからもうつらいです。なにもできないし。
「ぼさっとしてないで」
よくおやにいわれたことばだ。こうやってかんがえているときぼくはぼさっとしているのではないかとおもう。ぼさっとしてないしてないよーってつもりでもぼさっとみえてしまうことがつらいほんとうにつらいほんとうにほんとうにほんとうににじゅうはちねんかんなやんできたがでもこれでもぼさっとしてるんならさぁ、もうしんだほうがいいんじゃないかなあっておもうんだけどこんなことをもうだれにもそうだんできないしだからこうやってここにかいているわけだし。
さいきんおのさんのたいどがつめたくてつらい。おもいあたりがない。しいいていうならばおのさんがきらいんひとをさいきんりかいしてこういてきにぼくがなってしまったからかもしれないがそんなようちなことでひとをきらうものなのかともおもう。いくらこうかなぶらんどをみにまとっていてもいやだからこそにんげんはじbんんおかちをたかくみせるためにぶらんどがいかりゃく。もしくはこのぶろぐのそんざいはしょくばのひとりはしっているおのさんではない。ぼくはそのひとのことをしんらいしているからおしえたのだけれどもそのひとからおのさんにつたわってぼくがなんらかのことをかいていてそれがみんなにつたわってきらわれているのであればどうしよう。いやそんなことはない。ひがいもうそうはなはだしい。というかそこまでこうりょしたらとうごうしっちょうことばのさらだまったなしである。でもまぁまんがいちあったたとしても、こわいがそのときぼくは「それもいいな」とっいっしゅんおもったことにおどろきだった。そういえばぼくはちゅうがくしょうがっこうのとときじさくしょうせつをみんなによませていた。ぶんしょうをだれかによまれるとぼくはひじょうにこうふんするのである。へんたいである。でもうんまあだからといってこのぶろぐをやめるきはない。のーとにかいていた、だいがくじだいは。でもふんしつしてしまうし、ぼくのしこうかいろにかくことがおいつかないがたいぴんぐならぎりぎりおいついていくる。あとかてごりーがあるのがいい。いっかげつまえにかげつまえぼくはどうだったか。ぼくはぼくがいまどうあんおかよくわkらないところがあるからばろめーたーがわりにもつかっている。あとだれかがすくなからみている、そのじじついってんのみがここまでこのにっきをつづけられたりゆうである。みられるとこうふんするのである。ああでもつらい。とにかくつらい。でもそうやっておちこんでいるともうだめなのであるかおにでているのであるそしてぼさっとしているのであるあーきえたいほんとうにきえたいしにたいしにたいしにたいしにたいしにたい。しにたい。しにたいっていっているあいだはしなないこれがぼくのていせつなのでぼくはまだしなないがとてもつらいししにたいししにたい。だれにもそうだんできないしだからといってもうじぶんでしぬこともできないしもうさあもうさあもうさあもうさあじゃあさあそもそもぶろぐなんておしえなければよかったじゃんもうさあもうさあもうさあもうさあ、もうさあ、もうさあ、もうさあ、
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帰宅したら櫻坂のバックスライブの2日目のリピート配信だ!!!というわけで見た。そして前のマネージャーからラインが来ていた。前々から連絡を取っていた塾の時の男子の知り合いからもそういう関係になろーよみたいな旨のラインが来た。処女の僕は舞い上がっている。
僕は知っていた。
直感していた。
こういう辛い時が溢れる日は必ずこういう「救い」がある。それをどこかで期待してはいなかったか?
だからお前はだめなんじゃないのか?
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ぼさっとしている。
「だからおまえはだめなんだよ」
あー「しにたい」。さいきん「りすとかっと」のほんをよんでいるがどうやらじしょうこういというものにはひふをむしるというものがあるらしくまさしくぼくはそれだというかなんならおさとのめんだんのしゅうばんかさぶたじつはながそでのなかでめくっていました~どろ~ん。そしてそのこういじたいは「いきるため」のものではあるらしいのだが、まぁそれはわかる、けいけんちとしてちくせきされるものらしくいっていちをこえるとどうやらじさつにいたるらしいのだ。あーやっぱりそうなんだやっぱりすとかっとってこわいしやめよっておもったやったこともないしそんなやりたいともおもわないけどでももうさあそれくらいじゃないとさああもうさあ。もうさあもうさあもうさあもうさあもうさあ。
配信ライブが34835728617980時間あればよかったのに。
そうすればわたしはこんなにくるしむことはなかった。
終わり